追悼 映画評論家、山田和夫氏の主要映画評を紹介します。
「アカハタ」1963年6月24日付から
映画 新安保条約から3年
「日本の夜と霧」に代表される断絶と否定の論理③
大島は前年の処女作「愛と希望の街」で、ブルジョワ階級とプロレタリア階級の間には甘っちょろいヒューマニズムではどうにもならない断絶があることを、わかりやすくしかも新鮮にえがき出しました。階級間の断絶を確認することは正しいことです。ところが、第二作「青春残酷物語」になりますと、階級間の断絶が世代間の断絶にすりかわり、川津祐介、桑野みゆきら若い世代のエネルギーのアナーキーな放出が、桑野の姉や父の世代のうじうじした、だらしのない行動と図式的に対比されます。佐々木基一らが絶賛した有名なシーン―カーテンの手前に彼女が妊娠中絶したからだを横たえ、まくら元でかれがだまってリンゴをかみつづけます。カーテンの向こうで彼女の姉とその恋人である医師の去勢されたような会話。こみあげる怒りをかみしめるようにリンゴをかみつづけるかれ。長い長いワン・カットのシーンが世代間の隔絶をきわだ立たせました。
戦後の成果すべてを清算主義的に否定
このような大島の思想と方法は、〝安保闘争〟のまっただなかでつくられた「太陽の墓場」で過去との断絶、戦後の成果をいっさい清算主義的に否定しようとするイメージとなってあらわれます。ラスト・シーンでドラマの舞台であるドヤ街のバラックが焼け、焦土の上を「終戦のときと同じだ」というせりふが流れるのです。それはつづいてつくられた「日本の夜と霧」で語られる「戦後は6月15日よりはじまる」というせりふとピッタリ照応します。
こうして「日本の夜と霧」では階級間→世代間→過去と現在と変容してきた断絶と否定の論理は終着駅にたどりつき、歴史の主体である労働者階級とその前衛との断絶・否定という結果になってしまうのです。「日本の夜と霧」がインテリ同士だけの討論劇―もっと極端にいえばおしゃべり劇になり、知識人の間でさえ限られた支持しかうけられなかったこと、広範な大衆とは感覚的にも、知性的にも縁もゆかりもない「芸術」にとどまったことは、当然の帰結といえるでしょう。
大島のこうした姿勢は、〝安保闘争〟の「挫折」をそれ以前の学生運動の「挫折」と結合させることで最高度に高まり、その後の作品にも尾を引きます。1961年末の「飼育」では大江健三郎の原作にあった素朴な連帯感まで一掃し、「天草四郎時貞」(1962年3月)では弁証的な歴史観を無視し、島原の乱を主観的な「挫折」のイメージ一色にぬりつぶして、もう一度くらやみの戦略・戦術論争を再現しました。最近日本生命のPR映画としてつくった「小さな冒険旅行」が、童心の世界にまで疎外と断絶のイメージをもちこんでいることは気づかれた人も多いと思います。
(つづく)