追悼 映画評論家、山田和夫氏の主要映画評を紹介します。
「アカハタ」1963年6月24日付から
映画 新安保条約から3年 「日本の夜と霧」に代表される断絶と否定の論理②
さて、「死者をむくむおびただしい犠牲にもかかわらず、〝安保〟はやはり通過してしまった―6月20日以降、国会をおおうデモの波は急速に退潮してしまった」―国会周辺の、それもその年の5、6月という高揚期にだけ闘争に参加した人びとの目には、まるで運動が全面的に敗退したようにうつりました。一時的な興奮が大きく、それに没入した印象がつよかっただけに、その逆作用もまた急激でした。いまにも革命がおきそうな気がした気分の高ぶりから、闘争全体が壊滅してしまったかのような沈滞感へ。
そういう一部の心的状況を利用して、「安保闘争の敗北は前衛党の責任」というトロツキストや反党修正主義者たちの意識的な悪扇動がおこなわれ、さまざまな芸術作品にその影響があらわれました。
〝挫折〟ひきだした知識人の孤立感
映画作品でその代表的なものは、さきにあげた大島渚の「日本の夜と霧」です。
「日本の夜と霧」は、文字通り〝夜と霧〟にとざされたある結婚式場を舞台にドラマを展開します。〝安保闘争〟から挫折を引き出した知識人の孤立感をあらわすように、ドラマの世界自体が周囲の現実から切りはなさされ、まるで演劇のようなワクにおしこめられます。1960年6月15日をきっかけに結ばれた一組の男女。男はかつての学生運動の経験者であり、女は安保デモで傷ついた現役の学生です。当然のことですが、学生運動の二つの世代を代表する友人たちが一堂に会します。安保デモで逮捕状の出ている新婦の友人が会場に姿をあらわし、世代間の断絶、同一世代の対立がつぎつぎとむき出しにされ、お互いの過去を暴露し合う、はげしい討論のドラマが展開されるのです。
現実の舞台は孤立したせまいわくに限定され、観念だけが過去にとび、現在にもどります。極左冒険時代の学生運動、非人間的なスパイの追及。そして一転した戦術方針。そのなかで苦悩し、挫折した人間像と、人間的責任とは無縁な「前衛」の行動。「真の統一と団結に到達するためには、われわれはもっと深くお互いの傷を見せ合わなければいけない」というもっともらしい大義名分のもとに、孤立した舞台にあつまる一群の人びとの間にさえ、なんの人間的なつながりもないことがしつように強調されます。望遠レンズをつかい、ただ発言する個々人だけを他から切りはなして追うカメラ手法。6・15の国会前すら、まっ暗やみの観念の過去にうかぶ一人ひとりバラバラの姿としてとらえる作家の目。
それらはいずれも〝安保闘争〟を国会周辺、学生と知識人、1960年6月あるいは6・15のたたかいだけのせまい経験と実感にわい小化する姿勢の反映です。
いわゆる「全学連」指導部の一人太田は、先輩たちが「前衛党」のいいなりになった不がいなさをののしり、先輩たちは同世代の「前衛」―中山や野沢たちの責任を追及します。その中山や野沢たちがもっとも軽薄であり、非人間的なタイプとしてえがかれているのです。そして、「現在必要なことは、中山さんたちを徹底的に破壊し、新しい前衛をつくることだ」とさけぶ太田が私服刑事に逮捕され、救援に走ろうとする学生たちをとどめた中山の空虚な「統一と団結」演説が霧のなかを流れ、ラストになるのです。
(つづく)
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