⑤「スターリン秘史―巨悪の成立と展開」
不破哲三/著 雑誌「前衛2013.2」より
不破哲三/著 雑誌「前衛2013.2」より
「スターリン秘史」の執筆にあたって⑤
「ディミトロフ日記」との出会い②
また、「日記」が、筆者であるディミトロフの精神的な変身の過程をおのずから描き出していることも、たいへん興味深い点の一つです。ディミトロフは、最初は、ヒトラーの政権獲得直後のドイツで、国会議事堂放火事件の共犯者として逮捕されながら、ゲーリングやゲッペルスまで相手にした法廷での熱烈な論戦で、ヒトラーらの陰謀を告発し、無罪をかちとった反ファシズムの英雄的闘士としてモスクワに迎えられ、1935年のコミンテルン第7回大会では、反ファシズム統一戦線という画期的な路線転換を実現するうえで、大きな役割を果たしました。その人物が、4年後には、活動のあちこちに共産主義者らしい善意を残しながらも、全体としてはスターリンの指示に無条件で従う官僚的な活動家に変貌してゆくのです。この過程も、スターリン専制確立の過程の重要な一側面を現わしていると思います。
この「日記」を読む時には、それを書いているディミトロフの視野が一つの限界をもっていることにも、注意を向けなければなりません。スターリンは、「分割統治」という独特のシステムを自分の周囲につくりあげて、その分野でどんなに重要な人物であっても、担当分野以外の問題は知らせないという手法をとってきました。たとえば、第二次世界大戦の前夜にヒトラー・ドイツと手を結んだ時、ディミトロフらが知らされていたのは、世界に公表した相互の不侵略という表面的な内容だけでした。東欧再分割の秘密議定書の存在などは、それを知っていたのはおそらく直接タッチした一部の幹部だけで、ディミトロフなどコミンテルンの幹部はもちろん、ソ連の党・政府の指導部の大部分にも知らされなかった特別の機密事項だったと思います。ディミトロフらは、その重大な事実を知らされないまま、各国の共産党の活動を、反ファシズム統一戦線からヒトラー・ドイツとの提携路線に転換させる仕事をやらされるのです。
そういう限界があるにせよ、「ディミトロフ日記」は、1933年から戦後に至る激動の時期をスターリンの身近で過ごし、その指揮下で国際活動の一翼をになった一人の人物が、その日々の活動を連続的に記録したものであり、他の文献に替えることのできない貴重な価値をもっています。
私は、この「日記」の英語版をほぼ読み終えた時、この「日記」を縦糸に、その他の文献資料を横糸にして、スターリンの国際活動を研究してゆけば、スターリンの覇権主義の歴史的な実態に、かなりの程度まで迫れるのではないか、という展望をもちました。
今月から連載を開始する、「スターリン秘史―巨悪の成立と展開」は、この構想にもとづき、「ディミトロフ日記」を縦糸とし、公開された内部資料を含むその他の文献も活用して、スターリンの覇権主義の形成と活動の全体像を描きだすことを意図したものです。スターリンの覇権主義の巨悪への変貌が歴然とした事実となるのは1930年代の半ば、それから1953年のスターリンの死まで20年近い歴史をたどることになりますから、私のいまの構想では、2年近い連載を予定しています。この角度からスターリン問題の解明は、共産主義運動のなかでスターリン時代がもっていた意味を根本から明らかにすることに役立つだろうし、日本の私たちにとってだけでなく、世界の共産主義運動の、科学性、道義性、発展性を持った前進にも必ず資するだろうことを強く希望するものです。
なお、本文での「ディミトロフ日記」の引用は、英語版、ドイツ語版、フランス語版の各版を適宜利用しましたが、その都度、出典を記すことはしませんでした。「日記」の訳文は、英語版では岡田則男氏、ドイツ語版では大高節三氏にご尽力をいただき、英語、ロシア語、フランス語、中国語などのその他の文献では、党の国際委員会および社会科学研究所の諸同志に協力をいただきました。また、その他のロシア語の文献については、私の旧制一高時代からの友人で国際委員会の活動家の一人だった故大沼作人氏が残された訳業を広く利用させてもらいました。連載の開始にあたって、これらの方々に厚い感謝の言葉を述べるものです。